最近気付いたことがある。
俺には料理センスがない。
料理センスっていうかレシピに逆らう癖がある。生粋の料理人としての血がそうさせるのだろうか、我が道を往き、完成させるはドブ味の料理。
大分前にクソ不味い麻婆豆腐を作った時にもやったんだけど、自分でチョイ足ししたものが味を壊す。
(前回の失敗)
他人のレシピ通りに作ることが困難って書くと精神疾患を疑われそうだから言い訳するけど、ウチに大さじとか軽量カップとかないのも問題な気がするんだよね。なんだよ大さじ1/2ってぶっ飛ばすぞ。もはや大さじ1のイメージがない状態から半分をイメージして入れてる。これがねえ、難しいんだ。
ちょうど先週はほぼ毎日のようにオムレツ作ってたんだ。美味いオムレツの家に女は嫁ぐって聞いたからな。婿修行ってワケよ。
さすがに1週間に卵食いすぎて怖くなってネットで調べたら、食べすぎは良くないみたいな、どんな料理にも共通して言えることが書いてあったんだけど根がビビリだから怖くなって今週はやめとこうかなって感じなんだけど。でも養鶏家の爺さん婆さんなんか絶対毎日卵食ってるじゃん、食ってるよな?養鶏家みてるか?
オムレツに関しては大さじとか軽量カップの概念抜きにしても難しい。正直なところ「オムレツ綺麗に作れるよ」なんていう知り合いがいるとは到底思えないほど難しい。そもそも俺の知り合いはジャンクフードばっか食ってる気狂いしかいないから自炊してるかも怪しい。納豆キムチトーストとかいうまともな精神状態では到底作りえないようなものを好んで食っているオタクもいる。
で、オムレツなんだけどオムレツを作る工程で確実にスクランブルエッグに派生していく。俺も何が起こっているのかはわからない。けれど実際にスクランブルエッグがそこに”存在”している事だけがその事実を証明している。
これが2度続くと俺は正気ではいられなくなった。オムレツに執心した。
油の分量やフライパンの温度を調整したけど、結局フライパンの端に寄せ集まって固まって1つの個体になったスクランブルエッグだった。
平日、業務時間中はずっと対オムレツについて考えていた。今夜こそはオムレツを生成してやるぞという感情以外はそこには存在していなかった。感情をオムレツに支配され、オムレツの出来損ないのスクランブルエッグを作るだけの道化になっていた。
そして、ようやく「どちらかといえばオムレツ」と言えるものを作ることに成功したんだけど。マジでいまさら道具のせいにするのもアレなんだけど、フライパンが悪い気がしてきた。
このフライパン俺が一人暮らしした時から使ってるビンテージものなんだよね。5年くらい使ってる気がする。さすがに5年も使ったらテフロン加工とかいう奴も消滅してるっしょ?もう逆にユーズド加工を施されてるでしょ。だとしたらスクランブルになっちゃうなぁ…なっちゃうよなぁ?料理人も「フライパンがクソだなぁ」って言うレベルっしょ?料理人みてるか?
それでフライパン劣悪問題は置いておいて、カレー作ったんだ。カレー。
カレーとか小学生の調理実習ですら作れるシロモノじゃん。ハナクソを机の裏にビタビタ貼り付けるタイプの小学生でも簡単に作れるじゃん。
でも、なんか…失敗…しちゃったんだよね。
レシピに対して反逆的な態度を取りたくなるというか、なんというか…
ニンジン中1本、中たまねぎ2個ってところまでは全然いいんだけどジャガイモ3個に対して反抗してしまった。ジャガイモをキレイにして皮をむく工程を想像しただけで俺の心の中で、カレーからジャガイモを撤廃させる運動が起こった。
ジャガイモの代わりにたまねぎ1個多く入れればいいかという甘い気持ちが、まずいカレーを創造するに至らせた。
たまねぎ3個から絞り出されたマッタリとした甘みがカレー全体に広がり、腹ペコの中学生でも匙を投げる程度には美味しくない。ババアの唾液の味。
ババアの唾液の味を知らないけどババアの唾液の味と形容しておけばなんとなく不味い雰囲気は伝わるだろう。そんな感じ。まだドブネズミを丸焼きにして食ったほうが美味い。
今後しばらくカレーを作ることはないだろうけど、二度とレシピには逆らわないと誓うよ。
オムレツとの戦いは続く…俺がふわトロオムレツを作れるその日まで…
ここまで書いてから気付いたけど大さじとか軽量カップ関係なしに俺が悪いなこれ。